打瀬網の起源は、およそ4百年前、瀬戸内海が本場とされ、当地(芦北)へ伝わってきたのは明治の初期と言われています。母港は計石港で天正8年(1580)相良軍が島津の水軍を迎え撃って撃退しました。また、慶長2年(1597)にオランダ船が平戸に先立ちこの港に立ち寄り、交易を求めました。
細川藩時代には遠見御番所が置かれ、芦北の浦々にはお抱え水夫(かこ)も多くいました。これらの水夫は藩の御用により、他所での漁業を見聞することにより、打瀬網漁業が積極的に導入されました。
現在用いられているような網は、合採網(がっさいあみ)といって幕末から明治にかけて普及したものです。これは「芸洲流し」といい芸洲(広島)の漁師が、芦北で始めたのが起こりで、収穫は主にアシアカエビ、イシエビ、カニ、シャコなどです。
昭和56年(1981)にお客様を乗せる観光船としてスタートし、20隻のうたせ船が活躍しています。平成17年には、女性にもやさしい船というコンセプトで新しく観光うたせ船レディース船が就航しました。
ご興味をお持ちの方は、芦北町観光協会さんまでお問合せしてみてください。